[必読]伊藤幸弘・不登校ひきこもり解決
教育現場には、とにかくいろいろな問題があります。中学校という場所は、未成年の、しかも「思春期」と呼ばれる一生のうちでも非常に特殊な時期の子供たちが集います。
そして「教師」とか「先生」などと呼ばれる人たちだって、やはり不完全な「人間」なのですから、それはいろいろと問題が起こるのは当然のことです。
しかし、中には取り返しがつかない問題が起こってしまうこともあります。
これについてはたとえ未成年だろうが思春期だろうが、あるいは監督者の未熟性、不完全性を受け入れたとしても、どんなことがあっても回避しなければなりません。
中には、今はまだ「取り返しのつかない状況」には至っていないものの、いずれそのような状況に陥ってしまうリスクがある状況に置かれて苦しんでいる子どももいます。
それがいわゆる「不登校」と呼ばれる状況に甘んじている子どもです。不登校は小学生にも高校生にもありますが、しかしやはり
ということになります。
昔から中学生の年頃は、「一生で一番難しい時期」などと言われていました。確かに、一生で一番多感な時期であるという時点で、もうそれは証明されているようなものです。
加えて、多くの中学生が「高校受験」という、生まれて初めて経験する「実力社会」の一端をいやでも垣間見なければならないイベントに直面しなければならないわけです。
中学生本人はもちろん、中学生を持つ親御さんや、中学生にたずさわる教育者の人々のご苦労というのも想像に難しくありません。
そんな難しい時期の子供ですから、一見元気に学校生活を送っているように見えたとしても、普段のコミュニケーションからして対応はけっこう難しい場合が多いです。
そして、不登校に陥ってしまった場合の対応ももちろん難しく感じられる場合がほとんどです。
何しろ、高校生のように突き放して考えることができない反面、小学生にくらべてなまじ物事の利害関係を理解できるだけに、中学生の不登校生徒への対応は親だけでなく、先生も非常に難しいといえます。
まあ先生の場合は、教育のプロフェッショナルですから、そんな甘いことを言ってもらっては困るのですが、親御さんからすると、やはりとても難しいという印象は禁じえないでしょう。
そんなとき大切なことは、自分だけの力で何とかしようとするのではなく、地域のコミュニティを通じて
という考え方です。親だからと言って、中学生を掌に載せてしまうことができる人など、ごく少数なのです。
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中学生の不登校に親はどう向き合うべきか
親は、子供との意思の疎通ができないとき、大きなフラストレーションが発生します。
日常のちょっとした意思のズレであったとしても、フラストレーションはたまります。これは、他人では絶対にありえないことです。
もちろん、他人とのかかわりにおいて意思の疎通が潤滑ではないときにもフラストレーションはたまりますが、しかし親子の間の不和とはフラストレーションの性質が大きく異なります。
親子だからこそ、他人では想像できない深さの溝が生じるのです。
しかし、子供の不登校の場合、日常のちょっとした意思のズレとはまったく別物、これを日常生活の中で起こった意思のズレと同じように扱ってしまうと、事態はさらに悪化することになってしまいます。これは、むしろ親だからこそそんな失態を犯してしまうのです。
他人だったら「不登校」というただならぬ気配に警戒心を強めるはずです。このあたりが、「子供の不登校に向き合う親」という立場のいかにも難しいところであるといえるでしょう。
もちろん、不登校というただならぬ事態に、親がいつもの調子で子供を叱ることがあってはいけません。おそらくそのことは理解しているという親御さんが多いでしょう。
ただ、子供の不登校に向き合う親の立場が
というのも、いつも通り子供を叱るというのがご法度であるということは明らかであるにせよ、だからといって、明らかに「いつもと違う態度」を見せてしまうのも大きな問題になります。
中学生くらいの感性は、ほかのどの時期よりも敏感であり繊細です。そういった時期に、親があまりにもソワソワとした態度で子供に接してしまうと、子供は親への信頼を大きく損なってしまうことでしょう。
これが、中学生くらいのお子さんの不登校に向き合う親の難しさなのです。だからこそ重要なのは、親だけで何とかしようと考えるのではなく、学校の先生や相談員など、専門家のアイディアを借りることではないか・・・という発想に、自然に至るのです。
このあたりの利害関係や、事態の悪化のメカニズムを理解されていない親御さんは、残念ながら意外と多いといえます。もちろん、他人に任せるということではありません。
たとえば学校の先生は、自分の子供の問題として親が悩むのと同様に、自分の受け持ちの問題として悩んでいるのです。
だからこそ力を合わせて、一緒に解決を目指すことが望ましいといえるのではないでしょうか。
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不登校の中学生に「留年」はあるのか
不登校によって出席日数が少なくなってしまうと、中学生でも「留年」はあるのか、という問題は、不登校生徒にとってはもっとも不安が大きい部分なのではないでしょうか。
もしかしたら自分も不登校だから、留年しなければならないのではないか・・・という不安は、不登校生徒ならおそらく多くの人が抱える不安でしょう。
結論から言えば、
ただし、たとえば帰国子女だったり、あるいは大きな病気やけがをしてしまって1年間学校に通わなかったという人が、1年余計に勉強する必要が生じるケースがあります。
これを「留年」と呼ぶのかどうかは正直定かではありませんが、もしそれを留年と呼ぶのであれば、不登校による留年も十分考えられることになります。
ただし、一般的に「留年」という発想は、所定の単位取得ができなかった生徒に課されるペナルティの一種ですから、本来の意味するところで留年を考えると、中学生はいかなる場合も「留年」はないと考えるのが自然でしょう。
ただし、同じ学年を複数年学習するということは十分考えられるということになります。
ただ、そこには明確に出席日数が指定されているわけではありませんので、出席日数が少ないことで、同じ学年を繰り返す必要があるという判断にはなりません。
その生徒の学力があまりにも劣っていると考えられた場合のみ、そういった処遇になると判断すべきでしょう。
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不登校と高校進学
不登校は近年深刻な問題として、教育現場だけではなく、国民全体で考える必要に迫られているという意味では多くの人が高い関心を抱いている事象ですが、中でも最も問題が大きいとされるのが、
そうでなくても非常に多感な時期である中学生には、何かと問題が起こりやすく、しかもちょっとしたことで大きな問題に発展してしまいがちであるという、そんなイメージもあり、しかもそれはあながちイメージだけではなく、極めて事実に近いことだと思います。
不登校にまつわる問題はいろいろありますが、やはり中学生にとって非常に重要なことは、「高校進学に影響が出てしまう可能性が非常に高い」という点が、中学生の不登校特有の問題点です。
小学生であれば、まだ中学受験をする児童はそれほど多くなく、また、高校生にもなれば、大学受験に関してはもう完全に個人の意志次第ということで、不登校とは完全に切り離して考えることができます。
しかし、中学生の高校進学というのは、もちろん高校が義務教育ではないとはいっても、意識の中では半ば義務化されているようなものですから、不登校に悩む本人だって進学のことを考えるだけで大きな切迫感を覚えるはずです。
そういった意味でも、中学生の不登校というのはとても難しい問題であることは間違いないのですが、そういう難しい状況のときこそ、
することで、事態を悪化させない効果を得ることができることもあります。
高校は義務教育ではないのですから、高校進学と不登校をあえてセパレートで考えてみるというのもひとつの考え方なのではないでしょうか。
「うちの子は不登校だし高校受験もあるし、もうどうしていいかわからない・・・」となってしまうのは当然のことです。
不登校と高校受験をまったく別ものとして考えることができるとするならば、「今できること、今すべきこと」を優先できるというメリットが生じます。
もちろん、進学のことも不登校の解決もどちらもとても重要であることは間違いありませんが、だからといって先に進めない、あるいは進めないという事態は歓迎されるべきではありません。
不登校であっても、勉強はできるという環境をつくることが、親御さんができる最善の策なのではないかという気がします。
高校進学のために乗り越えるべきことは、「不登校」ではなく「不勉強」のほうです。不登校であったとしても、一定の学力さえ培っておけば、高校進学できる可能性は十分あるはずです。
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